-再色建美-

建築塗装に足を踏み入れ13年。
目まぐるしく変わるこの業界の中で
自分が追い求めているもの。

『目先の利益じゃなくて、付加価値のある仕事』

今日もまた、作業開始。

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2016.11.22 Tuesday

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    2011.06.25 Saturday

    色との出会いについて。

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      はじめまして。

      僕がこの業種に足を踏み入れるキッカケと
      なったのは、父の影響が一番強いです。

      小学中学と、マンガのイラストを
      チラシの裏に真似て書いてみたり
      風景画や人物画をデッサンをすることに
      関してはとても自信がありました。

      しかしながら、どうしても
      『三色で塗り潰す』クセや
      『はみ出し、にじみ』を気にしてしまう
      『透ける、ぼかす』事が嫌いでした。


      家に帰れば従業員の方々が外で
      黙々と刷毛を洗ったり
      ローラーの柄を
      刷毛を洗ったシンナーで掃除していました。

      それを父は見ながら
      翌日の段取りをリーダー格の人へ
      伝達していました。

      そうして夜も七時頃になると

      今度は営業さんたちが
      やって来ていました。

      『お疲れ様です。明日の現場の材料置いておきます』
      『お疲れ様です。刷毛、ローラー、欠品ありませんか。』

      父は灰皿とコーヒーを持ち出して
      玄関外に出ていつも対応していました。

      当時の僕にとって父は
      『塗装会社の経営者』と言う
      イメージしかありませんでした。


      週末になればトラックを洗車し
      夜になれば郊外の自社で施工したお店に
      普通にお客として食べに出かけ
      そこでまたお店のオーナーと打ち合わせ。

      『家族で来てるのに、ここでも仕事かよ。』

      母と弟を目の前に、僕がそう呟いたとき

      『誰に向かってそんな口を利いてるんだ。
      もう一度目の前でちゃんと言え!』

      居るはずのない父が、僕の真後ろにいました。
      あの時、自分の何気なく発した一言が
      父を『怖い』と感じた始まりです。

      そんな父が自慢でもあり
      そんな父が普通なのかどうなのか
      わからないまま日々を過ごしていました。

      中学の美術の課外授業中に
      美術の先生に言われました。

      『本当に塗装会社の経営者の息子なのかしら?
      どうせピンハネしてるだけなんじゃないの?
      だってあなたの色彩は
      さすが塗装会社の経営者の息子!と思わせるだけの
      実力がない。』

      僕が会社の事を何も知らない
      父を塗装会社の経営者としてしか知らない自分が悔しくて

      その日もまた、モノクロの作品を家に持ち帰りました。

      自室の机の上に置いて
      色鉛筆を片手に一時間、二時間、三時間、、

      モノクロの作品に色が乗ることはありません。

      宿題は学校ですべて済ませ
      食事は喉を通らないほど悔しくて

      モノクロの作品の所々が滲んでいきます。

      さすがに心配されたのでしょう。

      時計の針が午後11時を回り、食事も風呂も済ませない
      いつもはこんなことないのに、どうしたのだろうか。と

      心配した父が自室へと入ってきました。

      そして滲んでいるモノクロの作品を見て
      父はこう聞いてきました。

      『ワシがこういう仕事だから、学校でバカにされたのか?
      教師にか?先輩か?同級生か?』と。

      当時13歳だった僕は、泣き崩れ
      全てを打ち明けました。

      そうすると父は
      『少し待ってろ。』と言い

      『これをお前に貸してやる。
      使い方はお前次第だ。
      ワシはバカにされるのは大嫌いだ。
      だからバカにするやつの上を行く。
      そいつがその上を行くなら
      さらに上を行く。
      向こうが降参するまで諦めるな。
      やるなら徹底的に容赦なくやれ。
      勉強も部活もだ。』

      そう言われて渡されたのが
      日塗工の色見本帳です。

      しかし残念ながら
      まったく当時の自分には参考になりませんでした。

      と言うのも、父と話が出来たことが嬉しくて
      それどころじゃなかったのです。

      11年経った今でも、モノクロの作品が増えています。
      むしろずっとこのままでいようと思います。

      建物に彩りを与える仕事ですから
      極力自分の主観や好みを捨てて

      常にフラットで居続けたいので。




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